プロフィール


はじめまして、長瀬和也です。

私のことが初めてな方がほとんだと思いますので少し自分のことをお話したいと思います。

私は、小さな時から父親がいませんでした。

看護師として働いている母親が女手一つで一生懸命私を育てくれたのです。

私が小さいころ、自分に父親がいないことを不思議に思い母親に聞いてみると、事故で死んだと言われました。

でも位牌はなく、写真もなかった為、そもそも自分に父親という存在自体がいなかったのではないかとも思う時もありました。

でもそれ以上は聞ける雰囲気ではないと子供ながらに感じ取っていたので、父親について深く追及はしませんでした。

父親がいなくても母親はわたしのことを大切にしてくれているのを感じていたし、私たちは二階建ての一軒家に住んでいて、貧しくはありませんでしたが、贅沢もせず細々と幸せに暮らしていました。

誰も信じられなくなった小学時代

小学校に入ると、私は釣りにはまるようになりました。

以前、友達の家族に連れて行ってもらった釣りがすごく楽しかったのがきっかけです。

小学校2年の夏休みのある日、私は友達と大好きな釣りをしに家の近くにある海へ行っていました。

いつもは朝から出て行って夜遅くに疲れてくたくたで帰るのですが、その日はたまたま友達が早く帰らなきゃいけなくて、一人でいるのもなんだしと思い珍しく午前中に帰宅をしました。

家に入ると、玄関には見慣れない大きな黒い革靴がありました。

だれかお客さんでも来ているのかなと思い、リビングに行きますが、だれもいません。

でもどこからか声がします。

その声は母親の寝室から漏れているようで、何だろうと思い部屋に近づくと・・・

直接部屋の中を見る勇気はありませんでしたが、声を聞くだけでそれが大人のそういう行為だということはわかりました。

最初は信じられず、黙って家を飛び出しました。

私の母親は、確かに美人だし優しいし、年齢の割に若く見えるけど、日中家でこんなことをしているということに、とてもショックを受けました。

あの家に帰りたくないと思い、ずっと外でぶらぶらしていました。

母親は近所を探し回った末に私を見つけましたが、私は裏切られたような目で母親を見返しました。

母親はいきなり自分への態度が変わった私の様子に慌てましたが、私は一向に母親と顔を合わせること話をすることもなく、母親を置いて家に帰りました。

その日から、母親と距離を置くようになり、だんだん口も聞かなくなりました。

学校から家に帰るときも、またあいつがいたらどうしようと思うようになり、必ず夜ごはんの頃に家に帰るようにしました。

母親は必死に私と話そうとしていることには気づいてましたが、私は拒否し続けました。

そんな私が唯一自分らしくいられたのは、友達と釣りをしているときでした。

家にいるのが嫌なため、時間が出来た時には海に行って釣りをしていました。

ある日、友達といつも通り海に行って釣りをしていると、隣に男の子が来ました。

その子は私よりも年上っぽくて、でもこの辺では見かけない人でした。

一人でいるみたいだったので友達と一緒に話しかけると、自分たちより6歳上の中学生で、最近この地域に引っ越してきたというのです。

前住んでいたところは島だったため、よく一人で釣りをしていたから、ここでも釣りができると知ってきてみたと言ったので、そこから仲良くなりました。

年もそこまで離れていないし、その男の子もとても元気で明るい子だったので、私たちとの距離は一気に縮まりました。

バカにされ続けた中学

中学生になってからも、母親との関係は相変わらずでした。

私が部活を始めると、練習で帰りが遅くなることも増えてご飯を一緒に食べるということも少なくなりました。

看護師の母親は夜勤の時もあるので、時々一人で夜を過ごすこともありました。でも私にとっては、そのほうが気楽でした。

しかしこの頃から、近所である噂が流れ始めたのです。

それは、私の母親が男を連れ込んでるんじゃないかという噂です。

その噂が流れた理由というのは、私が小学校2年生の時に時々知らない男を連れ込んでいるのを見た人がいたからです。

月日は経っていますが、よりによっていろんな人からの目が気になる年頃にその噂は近所で広まっていきました。

その噂はもちろん私の同級生の耳にも入りました。

ある日、いつも通り学校に行くと、同じクラスの男の子3人がやってきて、父親がいないことを馬鹿にしてきました。

登校時間のため人がたくさんいる中、そのクラスメイトは

「お前は父親の愛情も知らないダメな人間なんだ。しかもお前の母親は、お前なんかよりも他の男のほうに夢中なんだよ。」

と母親のことまでも馬鹿にしてきたのです。

私はカッとなって、そのクラスメイト達を殴りました。

そこからは取っ組み合いのけんかが始まり、先生たちが来た頃にはクラスメイトはボコボコで、私は怒りに任せてこぶしを振っていました。

ケンカをしても自分の中には怒りや虚しさが消えることはありませんでした。

この頃から、私は自分のことを馬鹿にされたりケンカを吹っ掛けられたときは、殴ったりすることで自分自身を守るようになったのです。

誰からも必要とされない自分

高校生になり、バイトを始めてある程度自由に行動ができるようになると、大好きな釣りにはいかなくなり、そして、ますます母親との関係は冷え切っていきました。

私が無視をしているせいですが、母親はせめて家でご飯を食べてもらえるようにと、どれだけ仕事で残業があっても、毎日ご飯を欠かさず作ってくれていました。

私は高校生になり、幼馴染の女の子と付き合うことになりました。

特別その子のことを好きというわけでもありませんでしたが、一緒にいると落ち着いたので一緒にいることになりました。

対して彼女のほうは、昔から私のことが大好きで、私と母親との状況も知っています。

それでも、自分が少しでもそばにいることで力になりたいと、ただ純粋に私のことを想ってくれていて、それをちゃんと表現してくれました。

私は、自分に父親がいないこと、そして父親がどんな人なのか知らないことが、自分にとって欠けているモノだとずっと思っていました。

母親とはもう口をききたくないし、自分で探しに行くのは無謀すぎるとわかっていました。

それでもどうにかして父親の存在を確かめられないかと調べていた時、自分の戸籍を見ればだれが父親なのかわかると知りました。

すぐに市役所に行って戸籍謄本を出してもらって確認すると、父親の欄は何も記載されておらず空欄でした。

市役所の人に聞くと、空欄というのは、母親が結婚をしていないことを意味し、父親と思われる人にも認知をされなかったことを意味するとのことだったのだったのです。

理解が出来ませんでした。

昔母親に自分の父親がどこにいるのかと聞いたとき、事故で死んだと聞かされました。

でもそれは、結婚をする前に本当に事故で死んでいたのか、もしくは結婚しようとしたのに逃げられたのか、もしくは母親が不倫をしていたのかということも考えられるのです。

そして私は母親に父親のことを聞いてやると決めました。

その日家に帰ると、母親がご飯を作っていました。

いつもなら何も話さず自分の部屋に行きますが、「ただいま。」というと、母親は泣きそうな顔をして振り返りました。

うれしいのか悲しいのか、わからない顔で「おかえり。」と言われ、いったい何年ぶりにこの会話をしたのだろうかと私は思ってしまいました。

しかし、すぐに「戸籍をみた。」と言うと、母親は真っ青な顔になり、「ごめんね。ごめんね。」と繰り返しました。

どういうことなのか聞くと、「あなたの父親は、他に家庭がある人だったの。」と、か細い声で言いました。

私はそれを聞いて、愕然としました。

自分の母親が不倫をしていたということ、そして、自分はきれいな人間関係のもとに生まれたのではなく、裏切り行為の中で生まれてきたのだと知り、自分自身が汚く思えてきたのです。

母親はまだ何か言いたそうでしたが、私は「もうあんたとは今後言葉を交わしたくない」と言い放ち、自分の部屋にこもりました。

部屋にあるものを壁に投げつけ、どこにやったらいいのかわからない悲しみと怒りをぶつけました。

その怒りや悲しみが、日が経っても小さくなることはなく、むしろ大きくなる一方でした。

ある日、彼女と家デートしていた時、私はそばにいてくれる彼女に対しても嫌気がさして、嫌がる彼女を無理やり押し倒しました。

付き合い始めてまだ2か月で、しかも彼女は経験がない子だったため、とても痛がっていましたが、そんな声は一切無視して、私はただ女性に対しての怒りを彼女との行為にぶつけたのです。

行為が終わった後、彼女はとても辛そうでしたが、彼女から見ると私のほうがとっても辛そうだったらしく、彼女は私を抱きしめ、「私は大丈夫だよ。大丈夫だから。私はずっとそばにいるよ。」と言いました。

ただ、私はその日を境に自分の心がどんどん真っ黒にすさんでいくのを感じました。

ぽっかりと心が空いた人生

私は狂ったように何人もの女性をとっかえひっかえし続けました。

ある女性に飽きたら、次は違う子というように、ひたすら女性と関係を持っていたのです。

そんな生活をしていると私の生活も荒れていき、家に帰らない日も多くなりました。

そんな時は、女性とカラオケボックスでオールしたり、誰かの家に転がり込んだりして、あの忌まわしい家に帰らないように暮らしていました。

母親は、最初は夜な夜な私のことを探していましたが、そのせいで体調を崩してしまってからは、探しに行くのを諦めました。

私はひたすらいろんな女性に手を出していました。

しかしある日、一人で夜道を歩いていると、黒いミニバンが後ろからゆっくりと近づいてきました。

不思議に思いましたが、そのまま歩いていると、急に近づいてきて、私の横に来ると停車しました。

窓からは中の様子が見えず、何だろうと思っていると、中から人が出てきて、いきなり私のことをつかみ車の中に引き連れました。

何のことか理解できず抵抗していると、サングラスをかけていて顔にまで入れ墨が入っている悪そうな人相の人が自分をにらみつけていたのです。

その男は「お前か?」といい、なんだこいつらはと思っていると、私の腹を急に殴ってきました。

すぐには状況が理解できなかったですが、条件反射で自分も殴ろうとすると、後ろにいたやつに羽交い絞めにされて止められてしまいます。

よく見ると後ろの男性はスキンヘッドで目つきが悪く、いかにもヤクザみたいだと思ったとき、私はこの状況を理解しました。

一方的に体や顔を殴られ、どうしてこんなことをするのかと聞くと、一枚の女性の写真を見せてきました。

その子は昨日私が抱いた子でした。

昨日の合コンで会った子でしたが、態度が気に食わず無理やり抱いたのです。

でもそれがどうしたのかと思っていると、「こいつは俺の女だ」と言ってきました。

昨日合コンに来ていたと伝えても、「俺の女がそんなところに行くはずがねぇ。」と言ってまた殴ってきました。

ボコボコにされるまで殴られ、しまいには私の右手をつかみ、「俺の女に二度と近づくな。もしまた会っていたことが分かった時には、殺してやる。」と言って、小指をボキっと折りました。

その後、ミニバンから私を投げ捨て、すぐに走り去っていきました。

残された私は、殴られたおなかを抱えながら立ち上がり、ゆっくりとすぐそばの公園のベンチに行ってとりあえず座って落ち着くことにしました。

まさかヤクザの女を相手にしていたことには驚きましたが、こんなことがあっても、自分の心の中に反省という文字はなく、ただ虚無感だけだ残っていました。

しばらく公園にいた後家に帰ると、その日母親は夜勤らしく、ラップでおおわれた夜ごはんがテーブルに置かれていました。

それを食べる気力もなかったので、食事には何も手をつけることもなく浴室に行き、自分の体にこびりついていた血を流しました。

折れた小指はものすごく痛くて、傷もひどく、体中に痣が出来ていましたが、しばらくおとなしくしていれば大丈夫だろうと思い、部屋のベッドで寝ることにしました。

朝起きると、母親が家にいて、すぐに私の体の異変に気付きました。

看護師だった母親は、体中の痣や傷を見て、すぐに手当てをしなければと私に近づきましたが、自分の体に触れようとする母親に対しての拒絶はいまだに直っておらず、手を振り払いました。

その時、私が折れた小指に激痛が走り顔をゆがめたのを、母親は見逃しませんでした。

せめて指だけは処置させてほしいといい、その言葉には従うことにしたのです。

処置が終わった後、私は家を出ました。

何をするわけでもなく、ただただふらふらと練り歩き、たまに海に行ってぼーっとして、ひたすら傷が癒えるのを待ちました。

傷が治ってからも、私は以前と変わらず、女遊びをしていました。

しかし、以前よりも気持ちが晴れず、ただただ虚しさだけが心を占領していきました。

そんな時でも幼馴染の彼女は、私を一人では放っておかず、何があったのかは聞いてきませんでしたが、ただずっとそばにいるようにしていました。

そばにいてくれることに、私は少し安心していました。

そして、彼女は、少しでも私の気持ちが楽になれるようにと考えてか、私を釣りに誘ってきました。

釣りをする気分ではありませんでしたが、彼女が楽しそうに行こうというので、とりあえず行くことにしましたのです。

釣りのあのときの兄ちゃんとの再会

それ以来、暇さえあれば釣りに行くようになりました。

彼女が、予定があっていけない日でも、一人で海に行きました。

そしてそこで、懐かしい顔に再会したのです。

それは、小学校の時に釣りをしていた際に出会った6つ年上の男性でした。

男性は私を見つけるや否や、

「お前和也か!?久しぶりだな~。

ここ何年かお前の姿を見なかったから心配していたぞ。

元気だったか?」

と昔と変わらない明るさで話しかけてきてくれました。

このあたりに住んでいるなら、私がどんな生活をしているのかというのは、噂で耳に入っているはずです。

昔の友達もだんだんと自分から離れて行ったのに、その兄ちゃんは自分に対しての態度が昔のままで無邪気な笑顔を向けて話しかけてくれて、しかも自分を覚えてくれていたことに、素直にうれしいと思いました。

兄ちゃんの隣に座ると、肩を組んできて、

「俺は昔から、お前のことを弟のように思っていたんだ。

だから心配だったし、いろいろ話してほしかったよ。」

といい、私の頭をわしゃわしゃと撫でくり回しました。

それを聞いてたまらなく泣きそうになりました。

こんな自分のことをずっと心配してくれて、しかも弟のようにかわいがってくれていたなんて気づかず、それなのに自分はなんて独りよがりだったんだと気づきました。

それから、兄ちゃんは自分の最近の出来事を話してくれたり、昔の話をしたりして、私は久々に人といる安心と楽しさを感じたのです。

それ以来、時間があれば釣りに行き、その兄ちゃんがいればずっと話をしてという生活が一年以上続きました。

たまに一緒に遠くの海に行って釣りをしに行ったりしたこともありました。

その一年の中で、兄ちゃんは自分の昔話も話してくれて、その話が私の心を動かすことになるのです。

兄ちゃんもか

兄ちゃんはとても仲のいい夫婦と弟の4人で暮らしていました。

周りから見ても仲のいい家族で、男性も親からたっぷりの愛情で育てられ、とても幸せでした。しかし、兄ちゃんが小学校6年生の時、ある出来事が家族の絆を壊したのです。

兄ちゃんが夜、習い事が終わって家に帰ると、珍しく両親がケンカしていました。

リビングに入りづらくてどうしようかなと思っていた時、リビングから

「ふざけるな!

今更あいつが俺の息子じゃないというのか!?

この裏切り者が!!」

と父親が怒鳴っている声が聞こえました。

兄ちゃんはこれ以上聞きたくなくて、自分の部屋に逃げ、ずっと耳をふさいでいました。

どれくらいそうしていたのかわかりません。

しばらくすると部屋の扉があき、父親が現れました。

泣きそうな辛そうな顔で、

「ごめんな。

怖い思いさせたな。

話聞こえていたよな…。」

と言い、兄ちゃんを優しく抱きしめました。

兄ちゃんは堰を切ったように号泣し、父親を強く抱きしめ返しました。

そして、父親はぽつぽつと話し始めました。

「母親が別の人と一緒になっていたから、お父さんはもうお母さんといられないんだ。

だからお母さんとお父さんは別れようと思う。

お母さんはお前が俺の息子じゃないと言っていたが、何があったってお前が俺の息子だということには変わりないんだ。

血のつながりとかいうものよりも、これまで過ごした時間が何よりの証明だ。

そんなちっぽけなもんで俺はお前を手放したくない。

でもこれは親の勝手な行動だ。

お前はどっちについていきたいか考えてくれ。」

と言い、部屋を去りました。

兄ちゃんは突然の出来事で混乱していましたが、もう前みたいな家族ではいられないことにショックを覚えました。

でも、その時には兄ちゃんの中で答えは決まっていました。

どんなことがあってもお前は俺の息子だと力強く言ってくれた父親についていこうと決めました。

それから離婚の手続きや、兄ちゃんや弟の学校の転校手続きなどいろいろ時間がかかり、兄ちゃんが中学生の時に私のいる町に引っ越してきたのです。

両親のケンカをみてしばらくは兄ちゃんもショックで立ち直れませんでしたが、どんな時も父親は自分のことを見放すことなく世話をしてくれたから、自分が自分でいられたのです。

だんだんと笑えるようになり、弟もいる手前ずっと暗い顔もしてられないと思い、兄ちゃんは強い男になると決めました。

そして、成長をしていく中で、いつしか自分は誰かを支える人になり、誰かの心の支えになりたいと思うようになりました。

今は、メンターとして経営者やスポーツ選手などの男性を中心に、心理学をベースにしたパーソナルコミュニケーション術やマーケティングの知識を提供しています。

今まで気づけなかった大切なもの

私は、兄ちゃんの話を聞いて、自分と似たような過去を持つのに、自分とは全く違う人生を送ってきた兄ちゃんを尊敬しました。

自分は寄り添おうとしてくれた母親や、ずっとそばにいてくれた幼馴染の彼女の話を聞こうとせず、存在をぞんざいにしてきた挙句、女性に復讐をしようとして結局ヤクザにボコボコにされました。

周りのやさしさを無視した結果、自分は惨めな人生を送ってきたことを、心底後悔しました。

どんなに母親を嫌っても、母親は自分のために、激務の看護師の仕事をしながら家事をしてくれて、どんな時に家に帰っても、きれいな部屋、温かい食事、洗濯されてきれいにたたまれた洋服がある事に、申し訳なさと、母親の愛情を思い出しました。

そして幼馴染の彼女も、自分がどれだけ女遊びをしても、どれだけケンカをしても、ずっとそばで笑ってくれて、心配してくれていました。

自分は数少ない大切に思ってくれている人をこんなに無視し続けていたのかと、自分自身に苛立ちました。

兄ちゃんは落ち込んでいる私を見て、

「今からでも遅くはないんだ。

本当の手遅れになる前に、今まで無視してきた分、きちんと話を聞いて、自分の気持ちも正直に話すんだ。

お前は俺のことを恵まれているというけど、俺から見たらお前も恵まれていると思う。

お前がどんな態度をとっても、心配をしてくれてずっとそばで想ってくれている人がいるんだから。」

と言い、頭を撫でました。

私は今だけだと心の中で想いながら、静かに涙を流しました。

私はまず、幼馴染の彼女のもとへ行きました。

彼女は私の顔に泣いた跡があるのをみて、驚いていましたが、今まで見たことのないほど悔やんでいる顔を見て、優しく抱きしめてくれました。

私は、彼女の温もりをやっと感じることが出来ました。

彼女の存在が自分にとってどれだけ支えだったのかを認識し、自分にとって一番大事な存在なんだと気づきました。

そしてその温もりを抱きしめ返し、

「今までつらい思いばかりさせてごめん。

俺変わるから。

だからこれからも見捨てずに、お前の隣に自信を持っていられるように、そばにいてほしい。」

と、初めて自分の気持ちを彼女に話しました。

彼女は泣きながら、

「遅いよ。馬鹿。」

とうれしそうな、それでいて安心したような声で答えました。

私は彼女の答えに心底安心をして、しばらくお互いの存在を確かめ合うように、抱きしめ続けました。

そして私は家に帰り、母親の話をちゃんと聞こうと心に決めました。

その日、母親は仕事が休みでした。

家に入ると母親がいつも通りご飯を作ってくれていて、その後姿をみて、自分は今までどれだけ母親を傷つけてしまったんだろうかと後悔しました。

「母さん、ただいま。」

というと、信じられないという顔で振り向いた母親は、泣きそうになりながら

「今、母さんって…?」

と言いました。

「うん。母さんただいま」

と改めて言うと、母親はその場で泣き崩れ、小さな声で

「お帰り、和也。」

と言いました。

「母さん」

というだけで泣き崩れる母親を見て、自分はどれだけ親不孝だったんだと思いました。

そして、母親に、

「昔の話をしてほしい。

どんな話でも受け止める覚悟はできているから。

だから正直にすべてを話してほしい。」

というと、母親は

「先にご飯を食べてから、すべてを話すわ。」

と言いました。

ご飯を食べている間は、お互い無言でしたが、何年かぶりに一緒にたべるご飯はとても暖かいものでした。

母親の過去、そして和解

母親が新米看護師として病院で働き始めたころ、親身に相談に乗ってくれていた医師がいました。

その先生は母親の10歳ほど年上ですが、病院内外での評価がよく、人気のある先生でした。

看護師や部下の面倒見もよく、後輩からも慕われていました。

特定の彼女は作らない主義らしく、いろいろな女性と会っているところを目撃されていました。

しかし、母親はそんな先生のことが好きになっていき、どうにかして先生の特別になりたいと思うようになりました。

もともと母親はきれいな顔立ちをしていましたが、特別目立つようなタイプでもありませんでした。

しかし、先生は、自らの容姿を自慢するでもなく、真面目にコツコツと努力をする母親の姿を見てきて、だんだんと支えてあげたい、そばにいたいと思うよになりました。そして、二人は付き合うことになったのです。

それまでいろんな女性と付き合っていた先生でしたが、母親と付き合うようになってからは一切の関係を断つようになり、周りもびっくりするほど、母親にぞっこんでした。

そして母親も、今までずっとひそかに秘めていた想いが先生に届き、先生も自分のことだけを特別に想ってくれていることに、幸せを感じていました。

しかし母親は、デキる彼氏に見合う女になりたいと、自分磨きや、自分を着飾ることに一生懸命になりました。

頻繁に美容サロンに通ったり、ブランド物のバッグや服を買ったりして、いつの間にか借金が出来てしまうほどでした。

こんな忙しい看護師の仕事よりももっと楽に稼げる仕事はないかなと思うようになりました。

それでも、彼の隣にいるためだったらと思うと仕方がないと思っていたのです。

しかしそんな幸せな時間も長くは続きませんでした。

付き合って2年経った頃、母親は最初のころに比べてもっと先生にのめりこんでいました。

もしかしたらもうすぐプロポーズされるかもしれないと思っていた頃、先生の浮気が発覚したのです。

しかもその浮気相手は、私の同期で、一番仲が良かった子でした。

二人で、仮眠室でイチャイチャしているのを発見した時、母親は裏切られた気持ちでいっぱいでした。

いつから浮気していたのかを聞くと、半年前からだというのです。

そんなにも前から、大好きな人にも、大事な同期にも裏切られていたので、母親はとてもショックを受けました。

母親はその病院にそれ以上いたくなくて、別の病院で働くことにしました。

その病院は前の職場よりも規模は小さかったのですが、アットホームな雰囲気で、みんながわきあいあいと仕事に取り組んでいました。

その病院で働き始めて3年ほどたったころ、ある患者さんと出会いました。

その人は、釣りをしているときに、子供が道路に飛び出し、そこに車が迫っているのをみて、慌てて助けに行ったところ、腕と足を骨折してしまったそうなのです。

入院をすることになり、母親が彼を診ることになりました。

彼は既婚ですが子供はいませんでした。気さくで無邪気に笑う人で、とても好感が持てました。

彼と過ごす時間が増えるごとに、お互いの身の上の話をすることも増えました。

彼の両親は、自分たちが認めた人と結婚をさせたがって、その言いなりになって今の奥様と結婚をしたというのです。

奥様のことは嫌いではないけど、特別好きでもなく、一緒にいてただ楽ではあるという感情しか持っていないそうです。

そして母親は、彼に元カレの先生の話をしました。彼はずっと静かに聞いてくれ、言葉に詰まると背中をやさしくさすってくれました。

その温かい手に、母親は心が落ち着きました。

話をし終わった後、彼は慰めてくれて、

「次の恋はもっと素敵な人が現れるよ。」

と言ってくれました。

患者さんとはいえ、母親はだんだんと彼に心を開いていきました。

そして、彼が入院をして2か月がたったころ、いつも通り病室で少し談笑をしていると、急に彼がまじめな顔になり、

「この2か月、ずっとそばで支えてくれたあなたに惹かれました。

僕には妻がいるのに勝手を言っているのはわかっているけど、付き合ってほしい。」

と告白をされたのです。

母親もひそかに彼に惹かれていたので、内心とても喜びました。

実際、この2か月で奥様は頻繁にはお見舞いに来ず、週に1回ほどでした。

その関係性も見ているからか、私のほうが絶対彼を幸せにできると思い、彼の告白を受け入れることにしました。

それから1か月後、彼は退院をしましたが、それ以降も彼と母親の関係は続きました。

そして不倫を続けて3年が経った頃、母親は私を身ごもりました。

しかし、それを母親は彼には伝えませんでした。

彼の両親はとても厳格な人で、もし不倫をしていることや、不倫相手との間に子供が出来たなんてことが知られれば、何が何でも私たちを無理に引き離し、法的措置などを取ってくるでしょう。

そうなれば、生まれてくる子供にまで何か影響が出てしまうのかもしれないと思った母親は、大好きな彼と生まれてくる子のために、何も言わずにそばを離れることにしました。

仕事先も変えて、離れた場所に引っ越し、一人でお腹の子を育てていこうと決めたのです。

私が生まれ、母親はもう男の人を好きになるのはやめようと誓いました。

自分のこれからの人生はすべて私のために使うと決めた母親は、働きながらも育児を頑張り、病気にもならず、元気に育っていきました。

しかし私が小学生2年のころ、偶然にも今働いている病院で彼と出会ってしまったのです。

彼の部下がその病院に入院しているらしく、見舞いに来たらしいのです。

彼は私の手をつかみ、外のベンチまで引っ張っていきました。

彼は、

「あなたがいなくなってからずっと探していた。

なんで黙って消えたんだ。」

と言いました。

私は息子のことは言わず、ただ不倫をするのが申し訳なくなって、続けられなくなったからというと、彼は、

「俺は2か月前に離婚をした。

あなたと一緒になるために。

でも、両親が反対をしていて説得が出来ていないんだ。

もし説得出来たら、俺と一緒になってほしい。」

と言ったのです。

母親は、もう恋はしないと決めていましたが、あまりにも真剣な表情でプロポーズをしてくる彼を無視することはできず、自分がまだ彼に恋をしていたことに気が付きました。

お互いフリー同士、もう後ろめたさを感じずに付き合ってもいいんだと思った母親は、彼と交際することを決めました。

彼は火水休みの仕事のため、日中は母親とランチに行ったり、家に来たりしていました。

家に来た時、母親は私の存在を明かしました。

彼はとても驚きましたが、泣いて喜んでいたそうです。

というもの、元妻は子供が出来ない体質だったため、自分は子供を持つことはできないんじゃないかと思っていたからだそうです。

でも、小さかった私は、彼の存在を簡単に認められるほど幼稚でもなければ、大人でもなく、私を傷つけないためにも、少し様子を見て彼のことを話そうと思っていたとのことです。

しかし、あの日がやってきてしまったのです。

私が小学校2年生だったあの日、私が釣りから早く帰ってきたあの日。その相手というのが、付き合っていた彼だったのです。

部屋の外でばたばたと聞こえる音を聞いた母親は、すべてを悟りました。あわてて母親は家を出て私を探しますが、見つけた時にはもう私との関係にひびが入っていたのです。

母親は彼と別れることに決めました。

そして、彼もまた、二人の関係を壊してしまった手前、もう自分が父親だと私の前に出る勇気がなかったそうなのです。

これが、母親がずっと私に話したかった過去であり、謝りたかったことでした。

私は、すべてを聞き終わった時には涙を流していました。

母親自身が辛いときにも、自分のことを一番に考えてくれていて、すべて自分のためを思っての言動だったのだと知り感謝の気持ちと申し訳ない気持ちが同時にふつふつとわいてきました。

私は、母親に今まで本当にごめんと謝り、ついに10数年の時を経て母親と和解することが出来ました。

私のその後の人生

母親と和解してからは、それまでの時間を埋めるようにたくさん話をして一緒の時間を過ごし、仲の良い親子に戻ることが出来ました。

そして、これまでの自分の人生経験を活かして、尊敬する6つ年上の兄ちゃんのようになりたいと思うようになりました。

必死に心理学やコミュニケーション術、マーケティングなどを学び、数年たったころには、十分な実績をあげるまでになりました。

その実績は家族が遊んで暮らせる十二分すぎる実績です。

しかしある日、健康診断をしたところ、胃潰瘍が見つかってしまい、しばらく入院することになりました。

そこで、母親と同じ経験をして苦しんでいる女性と出会ったのです。

その女性もまた、家庭をもつ男性のことが好きになってしまい、でも離れることが出来ないほどに男性のことを愛していたのです。

その姿をみて、この女性の悩みや人生を少しでもいい方向へ導けるような仕事をしていきたいと思うようになりました。

そうして私は、母親みたいに本当に困っている人の悩みや苦しみだけではなく、その人の人生そのものを救えるだけの知識を身につけ、そしてある決意をしました。

その決意とは・・

会社に属することもなく将来不安になることもない経済的自由の知識。

たった1度の人生を自分らしく自由に生きるためのお金の自由と時間的自由になるための知識。

その知識を公開するという決意ですが

しばらくはブログを更新していきますので

しばらくお待ちください